FF VII International for PC (JP) を買ってプレイ。PlayStation でのように、人物と背景が一体化してしまい、目を凝らしても良く分からないということが無くて良い。それに落ちているアイテムも背景から際立って分かり易い。ただ、低ポリゴンなキャラクターにくっきりした目が付いているとどうも可笑しい。レゴのキャラクターみたいだ。
文字も綺麗で字が読みやすい。文字が読みやすいのがここまでプレイに影響が大きいとは思わなかった。文字が綺麗だとストーリーもクリアに頭に入ってくるように思える。
今 FF7 をプレイするとたくさんのユーモアが含まれていることが分かる。特に序盤は楽しいイベントが多い。
FF7 は社会風刺をしてはいないように思っていたけれど、魔晄炉によって星のライフストリームが吸い上げられ、枯渇して星が死ぬという設定は発電所への批判なのだろうか。吸い上げたライフストリームは魔晄エネルギーとして電気のように使っている。
しかし当時の社会的問題をストーリーに組み込むのは普遍性の観点からあまり良くないと個人的には思うので、そのあたりをぼかしたのか、単に着想を得ただけなのか、魔晄炉のシステムは今のところ曖昧。今のところ、というのは細部のストーリーを忘れているため。
また、バレットが「星が死ぬ」ことについて知っているのが不思議だ。一般市民は魔晄エネルギーを便利に使っていて、これが無い生活はもう考えられないというほど。そもそも「アバランチ」自体が正体不明。
Wikipedia をちらっと見たら、アバランチはもともとコスモキャニオンの星命学に由来するようだ。FF7 には学校のような施設が無い気がするので、その星命学自体を知らないのもしょうがないか。こういう事を考え出すとおかしなところがたくさん出てきてしまうので、ここら辺で止めておこう。
それにしてもストーリー序盤のプレート落としは今見ると馬鹿らしい作戦。新羅カンパニーへの被害の方が大きく、訳が分からない。もっとうまい方法があったと思う。アバランチのメンバーはプレート下には少ないのに。
おなじみのバイクのミニゲームも画面が見やすく、剣が敵に良く当たって楽しい。
PC版は5倍速が便利だった。ゲームの速度を5倍にする機能は時間の進み方も全て5倍になるかと思っていたらそうではなかった。ゲーム内の動きだけを5倍にする。音楽もいつも通り流れ、プレイ時間のカウントも通常。戦闘は5倍速を体験するともう元には戻れない。これくらいサクサクだと気持ち良い。
ストーリーは疑問や語られない箇所が残るものの、意外性のあるストーリーだとは言える。でもあまり「ファンタジー」という感じは無い。
FF7 の世界で気になっていたのは国家が存在しないこと。ウータイと戦争があったのは少しだけ触れられるけど、国家間の戦争でもないし、世界は狭いし、「戦争」という単語が似合わない。新羅カンパニーの軍事力をもってすれば世界統一されていてもおかしくない世界の狭さ。
ガスト博士について語られることが少なく、ここら辺をもう少し詰めればストーリーが厚くなったはず。ただ、開発者の話ではこれ以上は詰め込めなかったらしい。時間的にか容量的にかは分からないけれど。
ストーリーは結果的にはクラウドの内面を、ミッドガルの空のようにどんよりと描き出したものとなった。
私が思う FF7 の最大の謎は次のシーンである。
レッドXIII に子供が…。
レッドXIIIはこの種族の最後の生き残りなので、繁殖方法はたぶん分裂や出芽などの無性生殖だろう。種族の最後の生き残り『と言われている』という逃げ道があるので、どこかで生きている雌が見つかったのだろうか。